Verdell

解決は求めていません。。。

朝の連ドラから学ぶこと考えること。

放送中の、朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」を、毎日楽しみに見ています。

それぞれの役者さんが素晴らしい演技をしていて、メッセージが強くありつつも、重くなりすぎず、主題歌も挿入音源もとても良く、爽やかに軽やかに、その中にまっすぐな意思を感じさせてくれる、そんなありがたい朝の15分です。

仕事の前にドラマをみる、その時間が今の私にはとても癒しです。展開にも緩急があって、濃く、重い、胸が締め付けられるような内容の日もありますが、それでも毎日、1人1人の登場人物の振る舞い、1つ1つのセリフ、言葉にしみじみとした感動を覚えます。

 

ここ数日は、震災の当事者であるモネの幼馴染達や、その親達、また、モネと妹のみーちゃんを中心に話が進みます。

さらに、モネの周りにいる、「大きな災害を経験せず平穏に生きてきた人達の動揺や葛藤」も細やかに演出されています。

互いに大切に思いながら、大切に思うからこそ、自分の辛さ、しんどさを相手に話すことを躊躇い続けた仲間が、混乱の中で、1人1人の心のうちを語り始めるシーンには、苦しい、辛い涙とともに、向いている方が前だとする、立ち上がろうとする気持ちが表れていたように思います。

 

このドラマをみる中で、「優しくする、優しいというのは、どういうことか?」ということをよく考えるようになりました。

大事にしたいと思う人がいて、その人のためになればと思ってすることは「優しい」、そう思っていたけれど、そう単純じゃなく、その人に喜んでもらえると「自分が嬉しいから」つまり最終的には自分のためで、本当に優しいということとは違うのではないかという問いかけがあり。

当事者ではない第三者の立場から、「冷静に、総合的に、最もその人のためになる判断を下す」、それこそが、本当に本当にその人のことを思っての、「優しさ」なのではないかという提案があり。それはしかし、言われた相手が傷つくのであればやはり「優しさ」とは異なり、種類としては「正しさ、厳しさ」というものになり。

「一時的、今だけでもいいから」と助けを求める相手を、本気の本気で、先のことも含めて、本当に相手のためを考えて、そしてそれを一緒に抱える自分をも含めて考えて、そうしたら、受け入れることができなかった「強さ」。

きっとこれからその「強さ」に気づくみーちゃんには、「正しいけど冷たい」と言われたけれど。でもやっぱり、その瞬間辛くても、流されないで向き合ってくれた、ちゃんと言ってくれた、そう気づく日が来たら、やっぱりそれが「最大の優しさ」なんじゃないかとも、思う。

 

みーちゃんは、かわいい。素直で、真面目で、りょーちんのことが本当に大好き。だから、苦しむ姿を見たくない、たくさん傷ついてきたから、これ以上傷つかないでほしい、傷つけないでほしい。それが、今のみーちゃんが考える「優しさ」なんだなと、考える。

「優しくない」ということと「冷たい」ということは違うと思うけれど、みーちゃんはまだ19歳で、冷静でなんかいられないし、それでいいと思う。そういう優しさがある、ということがわかる日は来る。だってみーちゃん、本当にいい子。

 

「優しい」というのは、どういうことか。

本当に本当に本当に本当に、その人のことを考えるってことなのかな、と思う。なかなか、できない。

そして、「そこまでしたいと思える人がいる」、そのことが、大きな大きな幸せだということも、気づかせてくれる。

りょーちんのお母さんは津波で死んでしまって、お父さんはボロボロになって。「そんなことになるなら、怖くて、誰かを好きとかもういい」とりょーちんは言う。でもきっと、「そんな存在がいなければ、こんなに苦しい思いをしなくてよかったのに」と思う日も多いけれども、でも、「本当に本当に本当に本当にその人のことを想える、自分にとってそういう人がいたことは、やっぱり大きな幸せだ」って、りょーちんに、お父さんが教えてくれるんじゃないかと思う。

 

幸せには1人ではなれないし、相手がいなければ優しくもなれないんだな。

 

そんなことを考えるきっかけをくれる、素晴らしいドラマだと思います。

いざ、入学式

久しぶりに記録しておこうと思うことがあったので書きます。

 

今日は、めでたく長男くんの小学校入学式でした。当方、田舎のため、超超小規模小学校で、全校生徒50人ちょい。今年度の新1年は、うちの長男くんを入れて9人!少なっ!しかしこれでもここ数年では多い学年だそうで…

限りなくアットホームな、ふんわりニコニコな入学式でした。とても良かったです。

 

生徒の少なさが功を奏し、このコロナ禍において、マスク着用、換気は当然行うものの、まさかの在校生全員が入学式に参加しとても楽しい雰囲気で式が進み、さらに保護者は2名とも記念撮影に入れるなどいろいろ、よその学校では断念せざるを得ない事項が余裕でクリアできるというメリットが発生しておりました。

 

児童数によって1.2年生は複式学級となることが決まっており、2学年で1つのクラスとして扱われます。

だいたい複式学級とはなんぞや⁇というところから始まり、やっと、だんだんイメージを掴めてきたところです。国語と算数、道徳など最初が肝心、順番大事系の教科だけは、さすがに1年生と2年生が別れてそれぞれの先生に教わります。その他の、音楽体育図工生活などの教科は、2学年一緒に。例えば生活の授業は、うちの長男くんは先に2年生の教科書を使うそうです。そして来年、新しい1年生と、1年生用の内容を勉強する、ということらしい。体育なんか、人いないとチーム競技何もできないもんね笑

複式学級の話を最初に聞いた時は、おいおい…今時そんな…マジかよという気持ちでお腹いっぱいに。そして正直今も、いや、やっぱりこれ大丈夫なの⁇という気持ちがないわけではないです。

 

児童の減少が止まらず、逆方向にあるそれなりの規模の小学校と合併した方が…という話はかねてより出ており、複式学級があまりに未知の世界でやはり不安なこともあり、正直私も、合併派です。

これまでの歴史がうんぬんと、OBOGが反対しているという話を聞きますが、自分の子どもを通わせる親の立場としては、教育環境としてどうなのか心配な気持ちはやはりあり、何十年も前の子どもの多かった時代の思い出を理由に、今の子ども達にとっての最善がスルーされていいのかと、疑問に思ってもいます。

なので合併で話が進むのなら、立場としては賛成派です。

 

しかし今日はこの小さい小学校でよかったと思いました。コロナ禍において、他の学校に比べ色々なことが可能になるというメリットも1つの理由ですが、子どもたちの、のびのびした雰囲気が、とてもとても、良かったです。どこにいても空間にゆとりがあり、開放感がうれしい。マスク、消毒その他諸々、世界が窮窟になる中で、この学校は広く、子どもは手足をいっぱいに伸ばして、走る、笑う。あぁ、いいところだな、いい感じだなと、嬉しい驚きが、今日はありました。

 

ネット環境が整っていればどこでも仕事ができるという人も増え、コロナによって田舎に移住する人も相当数いるという世の中。

 

田舎に田舎の良さがあり、当然不便さもあり。

 

田舎で子どもを育てるという、貴重な時間を体験中の今、長男くんの小学校ライフ、次男くんの保育園デイズ、それぞれを観察し、それらを通して、自分も多くの気づき、学びを得ています。

これからもたくさんの気づきと学びに恵まれるだろうと、嬉しい予感でワクワクの、春の1日でした。

 

複式学級のことも含めて、田舎の子育て事情について、少しずつ記録していこうと思います。

キャパオーバー

職場でも家族間でも、とにかくどこで何をどうしていても、そこには人との関係というのが存在していて、特に私のライフスタイルでは、人との関係を持たずに生活するというのは不可能。

上手くやるということを至上命題に掲げて立ち回っているが、見る人から見ればそれが滑稽だということも当然分かっている。

それでも、人と対立することは、極力避けたい。だけれども、自分の意見がないわけでもなく、理想はあるし、本当は流せないってこともたくさんある。

ただそれを表面化しないことに注力している。バカみたいだという意識はある。自分は何がしたいのか、何が大事なのか、もはや自分にもわからない日の方が多くなってしまった気がする。

 

職場でトラブルがあった。

相手の仕事を、忙しそうだからと思ってよかれと思ってしたことだった。ささいな、コピー1枚取るだけの。しましたよ。といちいち言うのも嫌味っぽいかと思い言わずに置いたら、それは次からは常にこちらがやるものなのだと相手方は認識した。本来こちらの仕事ではないので次のタイミングではこちらはやらなかった。最終確認は当然だが相手側の仕事であるが、前回一回こちらがコピーを代行しただけで確認作業までこちらが担当すると認識したようで、結果、確認不足によるミスに繋がった。

今後同じことが起こらないように、連携を取るべきだったと、そういう話をするために相手方に報告をしたが、どちらが悪いのかというと、あなたが悪いですよね⁈という展開に持ち込まれジ・エンド。中途半端に手を出さないでくれと、そういうお話で大層ご立腹の様子。

こちらが悪いというので、余計なことをして悪かったと当然謝ったが、釈然としない。

最終確認をするのは日頃から常にそちらの仕事であり、コピー1枚手伝っただけで全て担当するということになるのは理屈として強引ではないかと、最終的に確認しなかったのはそちらですよね?と反論したい気持ちが湧き上がる。

でも、言えない。今後も関係が続いていくことを考えると、胃が痛くて手も震えるし、何も言えない。

表面上、上手くやることはできる。でも疲れる。気にしない人だけが、自分のペースで生きているように見え、羨ましい。

人との関係を気にしすぎる私が悪い?おかしいことはおかしいと、もっとハッキリ言えばいいのだ、スッキリするし、そこまで周りに気を遣って何になるのかと、分かってはいる。

 

でも、できない。

 

誰かには簡単にできることでも、どうしても私にはできないということがある。

反対に私には簡単なことでも、みんながみんなできる訳じゃないということ。できるように見えても無理をしているかもしれない。

人のことは、分からない。どういう人かなんて、分からない。

 

仕事中の私のストレスを周りが理解しないのは、私が発信しないからだけじゃないのかも。私も、職場の人だれ1人として、どんな人なのか、本当は分からない。分かるはずがない。だから、だれも私の気持ちを理解していなくても、それって当たり前なのか、と、考えて考えて、そんな簡単な答え。人の気分より、自分の気持ちを大切にしてあげたいなと、私にしては珍しく、思った。

 

でもやっぱり、気まずいから、明日仕事行きたくないな〜笑

 

 

 

自己中と言われた話

不機嫌な人、態度がとにかく嫌いで、人と言い争うのも嫌い。

 

両親の仲が悪く毎日毎日喧嘩ばかりで、珍しく普通に話をする場合はとにかく表面的な会話を、それも喧嘩にならないように地雷を避けながら、家族っぽい雰囲気になるように気を配りながらする。そういう日々を、18年。

 

家を出て7年で結婚。

自分のペースや機嫌に素直すぎる夫。それがよく思えることもあるけれど、でもやっぱり、機嫌が悪い人、嫌な態度は、どうしても嫌い。

 

だから、夫だけに限らず、家族、仕事関係の人、自分と関わる人がなるべく気分よく過ごせるように、そのほうが結果的に自分も気分良く過ごせるし、楽だから、不機嫌にならないように、できることはしているし、できる範囲で、気分良く過ごせるように演出もするし、嫌そうなことはやってあげたり、機嫌悪いな〜って思ってこっちがストレスを感じていたりしてもいちいち指摘しない、言わない。そういう風にしている。自分も、その方がいいから楽だからって、そう思ってきた。

 

だけど我慢にも限界があるし、その不機嫌は何が原因?なんなの?と言ってしまう日も、ある。いい加減にしろよって。こっちが見ざる聞かざるしてるからって、ほどほどにしとけよって、そりゃあるよ。

なんでもなんでもそんな自分の思い通りに行くかよ、思い通りにならないからっていちいち怒らないでよって、そう言ったら。

 

「揉めたくない、不機嫌にならないでほしい、そう思ってるのに結果的に相手の機嫌が悪くなって今あんたキレてるけど、それって思い通りにならないからって怒ってるのは同じなんだから、お前も同じことじゃね?だいたい、不機嫌にならないでほしい理由が、不機嫌な人を自分が嫌いだからって時点で、それって自分のことを考えてのことだし、つまり自己中じゃん?」と言われ、返す言葉がない。困った。

 

困ったな〜

保育園デイズ

息子くんが保育園に通はじめて5年あまり。登園を渋ることは一度もなく、もちろん色々あったけれど、それでも総合的に考えればスムーズに過ごしてきました。おかげで、私の仕事もなんとか続けてこられました。もちろん、本当に色々あって、大変だったけれど、彼が保育園に行くのを嫌がることはなかったので、そこは本当に助かりました。

 

そんな彼から最近、「保育園行きたくないんだよね〜おやすみしたいんだよね〜」というワードが飛び出し、そういった展開に不慣れな家族はアタフタ。結果としては様子見で大丈夫であろうというレベルで、休むことなく通常通り登園していますが、それを巡り色々な意見、対応、展開があり、自分自身考えることがあったので、事の顚末を記録しておこうと思います。

 

登園を嫌がる彼に、どうして?何かあったの?と聞くと、毎朝定番化している鬼ごっこで、必ず自分が鬼をやらされるので、疲れるから嫌なんだとのこと。これだけ聞いた段階では、「うーん、なんでそのような展開になるのか?必ず息子くんが鬼をやらされるっていう部分だけ聞くと、ちょっと陰湿な感じがしなくもないが…」という空気が、誰もそうは言わないけれども、漂いました。

ですが、その鬼ごっこのメンバーを聞いたところで、「あ、そういうんじゃないな。」と私は直感的に思いました。

子どもはみんな、基本的にいい子で、彼がこれまで保育園に楽しく通ってこられたのも、お友達のおかげな部分も大いにあります。ですがやっぱりちょっと嫌な奴、合わない奴って、いますよね。彼にとっても、合わないやつ、苦手な子はいます。

でも、この鬼ごっこのメンバーは、息子くんの話にたまに登場する「なんか嫌な奴苦手な子」ではないことを私は知っていたので、この鬼ごっこの件に関しては、メンバー的にも、いじめられているとかそういうんじゃないなと判断しました。

息子くんは今でこそまだ良くなりましたが、「いや」「やめて」と言えないタイプで、言いたいこと嫌なことがあってもモジモジしてなかなか言えず、そのうちにおもちゃをとられたり何かされてしまったり、そういうことが小さい頃はしょっちゅうありました。

どうも今回のこれも、鬼をやるのは気分じゃないんだけど言い出せず結局やる→疲れるから嫌だ→休みたいと言っているっぽい。気の毒な展開ではありますが、だからと言って休ませてあげれば解決する問題でもないので、「それはまず、君が走るのがいやならいやと、お友達に言いなよ」と彼に言いました。嫌と言ってもやれと強要してくるようなら先生に相談しなさいとも。鬼ごっこメンバーが、そう言われて怒る子ではないことも私は知っていたので尚更、これは彼がイヤなことをイヤと言えるようになるための訓練であると捉え、そう伝えたのです。

 

■ここまで私目線で書きましたが、家族(義理の両親とほぼ同居)の反応は本当にそれぞれで、むしろこっちのほうが結構、なんていうか、まぁその…大変でした。

・まずおばあちゃんは、孫可愛さに、いじめられていると決めてかかり、鬼ごっこメンバーを悪者扱い

・おじいちゃんは、沈黙。ノーコメント。

・パパは、いじめられていると決めつけているわけではないが、鬼ごっこメンバーに悪意がなくても、息子くんが困っていることは大問題であり、それは結果的にいじめっぽいのではないかという解釈(自分が子どもの頃イジられキャラだったことがトラウマ化しており、今回もそれが作用していると思われる)

 

繰り返しになりますが、私は、鬼ごっこメンバーがそういう子たちじゃないという感覚が強く、嫌ならはっきり今日はやらないと、息子くんが彼らにそう言えばそれで済む話だという認識でした。むしろ、家族の、鬼ごっこメンバーを非難するような言動に嫌悪感を覚えるくらいでした。孫が可愛いおばあちゃんと、イジられキャラだったトラウマを抱えるパパの相乗効果は強烈で、「そういう子たちじゃないし、いじめられてるなんて決めつけるのやめようよ」と何度も言いましたが、人間思い込むとなかなか通じない。

だいたい、息子くん本人の前で、周りの大人がそうやって大袈裟に騒ぐこと自体が、好ましくない。まずは、「いやならいやと言ってごらん。君がそう言ったって、そんなことで怒るような子じゃないと思うよ」と教えて様子見、それでいいのにと私は私でイライラしてしまいました。

おばあちゃんからは「相手の子を庇うなんて冷めてるんだね、心配じゃないの、可愛くないの」という圧がかかり、旦那からは「それこそなんの根拠があって、そういう子たちじゃないって言えるの?そんなにその子たちのこと知ってんの、自分の子より?あなたの言う通りならそれにこしたことはないけど、そうじゃなくて本当にいじめられてた場合どうするの?」と責められる展開に。おじいちゃんは相変わらず沈黙。ブレない。笑 なーんでこうなるかなーと、顔が引きつる私。

別に自分の子どもが可愛くないわけでも、鬼ごっこメンバーの彼らを庇っているわけでも、なんでもなく、単純に、メンバーに悪意はなく、息子くんは自分の気持ちをはっきり言うスキルが未熟。それだけのことじゃないかと。もちろん、絶対100%そうかどうかは、わかりません。でも可能性としてはそれが一番高い。悪者は誰かということではなく、これは息子くんに課された試練、考え様によってはチャンスだと。私はそう思ったんです。

 

 

■話が少しずれますが、私たちがこういう類の話に(幸運なことですが)とても不慣れであったため、出来事自体にフォーカスしてしまい、そもそも息子くんが、保育園であったこと思ったことを家族に話してくれた、そこへの敬意が欠けていました。

話してくれたことでその気持ちについて一緒に考えることができたので、それがすごく良かったよ、教えてくれてありがとうと、本当はまず最初に言うべきことを、遅ればせながら、息子くんに伝えたおきました。聞いているんだかいないんだか、分かったのかどうなのか、ご機嫌に歌を歌っていたので伝わったのかよくわかりませんが、「行きたくなーい」というワードに面食らい、大事なことが飛んでしまったことは反省です。彼が思春期を迎え「別に」しか言わない人になるまで、今後もまだしばらくはこのようなことがあるはずだから、次は必ず、話してくれてありがとうねという気持ちを持って、受け止めたいと思います。

 

■それで結局どうなったかというと、各者が想像で話していても仕方ないので、保育園に様子を見てもらえると助かるという連絡を入れ、報告をもらうこととしました。

どの先生に相談するのが良いのか、ママ友に伝授された情報を参考にしつつ、でもそれも結局はイメージっていうか、合う合わない、好みの世界だよなーと思ったり。担任の先生が、知り合いのママさん的には評価がそこまで良くないけれど(これもほんと何様?って話だし笑)でもやっぱ担任だしってことで、翌朝電話して相談みました。私としてはいじめっぽい認識は持っておらず、メンバーの子たちも知っているので悪く思っていない、息子くんがはっきり嫌と言えずそのような展開になっているのではないかと考えているが、まぁ困っているようなのであり、また、家族が心配しているので、どんな様子か聞かせてもらえると助かると伝えました。そうだったんですね、よく様子を見てみます、すぐ報告差し上げますと返答をもらいました。ちなみに息子くんは普通に保育園行きました。その時に「また今日も鬼をやらされそうになって、君が嫌だと思うんなら、嫌って言ってみなね。」とだけ声かけはしました。家に帰るとおばあちゃんが「今日はどうだったか⁈またやられなかったか⁈」と息子さんに聞いており、彼から話してくるようであれば聞くだけでいいんだけどな〜と思いつつ、まぁ当然言えないので黙って聞いていると、「今日は絶対やだ!って言った」との返事。イヤだと言えたのは良かったね、とわたしも当然思いましたが、よくやったよくやったと闘いに勝利したみたいな雰囲気でおばあちゃんが褒め称えていたのでまぁそれはこれ以上褒めんでもいいかという気になり、そしてその後どうだったのかも大事なので聞こうとしたその時に、ご丁寧なことに、わざわざ家まで担任の先生が来てくださって、様子を教えてくださいました。

 

ほらやっぱり!とか言いたいわけでは全くありませんが、私の想像通りの事の顚末でした。今日は「イヤだ」とはっきり言い、他の子と遊んでいたとのこと。鬼ごっこメンバーのうち、特に鬼ごっこをやりたがる子がいるのですが、その子は飛び抜けて足が速く、速すぎてすぐタッチされるし捕まえられないし、一緒にやりたくないとお友達に言われてしまって悲しい思いをした経緯があったんだそうです。確かにめちゃめちゃに速いのよ。瞬足くんとしてはそれなりのスピードで追いかけっこしてくれるなら誰でもよく、今日も息子くんに断られたらアッサリ他の子に追いかけてくれないか打診していたとのこと。追いかけられたいんだね。かわいいですよね、ほんとに。この件はこれでアッサリ解決、ついでに保育園での様子も少し聞けたりして、コロナで全く保育園に関与できていなかったので、ありがたい機会になりました。

 

おばあちゃんはまだ「かわいいまごを困らせたヤンチャなガキめ」みたいに言ってますが、それはそれとして。笑

旦那とは、「これからもなんでも話してね、今回のことも、話してくれてありがとう」とまず彼に伝え、それから、「自分の気持ちははっきり言うようにしてみよう、言わないと分からないこともあるからね」と一言添えておけばもういいよね。となりました。

 

彼の保育園デイズの1コマから、いろんなことを考えたり大事なことを再確認したり、これからに活かせるいい機会になりました。

 

評価の悪かった先生についても、その日のうちに家にまで来て話をしてくれたし、仕事に関しては十分じゃん?と思ったり。それもほんと、参考程度にしとかないとダメだなと、思いを改める私でした。

 

 

 

 

秋のはじまり。

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・おかあさん作、無花果の赤ワイン煮

・バニラアイス

無花果が出始めるとおかあさんが作ってくれる、毎年楽しみな赤ワイン煮。

ヨーグルトと一緒に食べてもいいけど、今回は贅沢にアイスと一緒に…

しかも、夜中に、1人で、テレビを観ながら。

このために、寝落ち回避!笑

たまには…ね!ストレス発散!

 

あぁ幸せ。。

日中はまだまだ暑いけど、だんだん、秋が近づいてきているんだなと、感じる夜中です。

田舎と都会

コロナコロナで世の中いろいろと、変わったように感じますが、変わったというより、見えるようになっただけかもしれないとも思います。人の気持ちとか考え方とか、こうも頼りなく、不安定なものだとは。分かってはいたけれど、なかなか強烈なものがあると、思います。

 

こちらは田んぼと畑と山と虫に囲まれた、それこそ絵に描いたような田舎で、都市部のそれとはとはまた違う雰囲気でしょうが、やはりこちらでもコロナの時代を感じてはいます。ちなみに私の暮らす田舎町では1人も感染者は出ていませんが、生活圏内にはそれなりの規模の街もありますし、一応みんな、感染防止策をとりながらの生活というやつをしてはいます。

保育園の年間行事も全て中止が決まりました。これには保護者、保育園の先生方、関わる人それぞれの立場からいろいろな意見があるでしょうが、それぞれの立場で求められる行動をとるという形で、協力しあわないと建設的ではないし前向きじゃないよなと思い、私は納得しています。長男くんは年長で最終学年だけのイベントもたくさんあっただけに、もちろん残念ですが。

 

■感染拡大地域と言われるいわゆる都会と、田舎の反応の違いについて。

この夏はお盆に帰省するしないで、ああだこうだといろんな意見がありました。あの時、青森かどこかで、東京から帰省してきた方の家の庭に、「なんでこのタイミングで帰ってくるのですか、さっさと東京に帰ってくれ」というようなビラが入っていて、、、という報道がありました。うわ〜、うわ〜、やだな〜と率直に思いました。やだなという気持ちがお腹の中をぐるぐる回りました。

その後、この、「いやだな」というのは、なにが嫌だと感じるんだろう?と考えました。

まず考えたのは、このビラを入れた人の行動について。毎日コロナ関連のニュースばかり見て、「このあたりでクラスターなんて出たら本当に大変なことになる」って本気で心配しているんだと思うんですよ。その人も、高齢の親御さんとか生まれたばかりの孫とか、抵抗力の弱い人と同居しているかもしれない。だからこその、「都会からは来ないでほしい」という気持ち。確かに田舎は本当に高齢者だらけだし、医療体制は貧弱で、その心配は本当に純度が高くて、要は本気なんです。だから、全く気持ちが分からないわけじゃない、正直。この報道を見た都会の人は、「田舎って怖っ。引くんだけど笑」というような感想をまず抱くだろうということを思うと、すごく残念な気持ちになる。

この人の何が悪かったかと考えれば、来ないで欲しいという気持ちを持つこと自体は、状況から考えて悪くないと私は思うんです。十分理解できる。

だからこそ、伝え方が悪かった、すごく悪かったと思います。ビラを入れるというやり方、そしてそこに自分の名前を書かずに匿名で実行したということ。それがどうしても卑怯な印象を与える。卑怯なやり方をする人の言うことは、どんなに正しくても受け入れられない。今回はさらに、どちらが正しい正しくないという答えもない中で、みんなが手探り状態の中でのことだったので尚更、受け入れてもらえない展開になってしまったと感じます。

本人は、正しいことをしているつもりだったと思うんです。感情的になってしまっていたけど、だけどそれだって冷静な気分じゃいられないくらい、本当に心配だったからだとと思うんですよね。でもだからこそ名乗りもせずに嫌がらせのようなやり方をしてしまったことは残念です。

逆にじゃあ、名乗って正々堂々と面と向かって「今、このタイミングで年寄りだらけのここに、東京から帰ってくる必要ないよね?帰って下さい」といえば正解なのか?と考えると、それも違うよな〜と思います。

「この地域および自分含め家族知り合いに感染が拡大したら、本当に誰が死ぬかもしれないというレベルだし、心配でたまらない」という問題は、分かるんだけど、酷だけど、でもどこまでいってもその人自身の抱える問題であって、東京から田舎に里帰りすることが違法にならないうちは、里帰りする側が抱えないといけない問題ではないのだということです。帰る側が抱えないといけない問題はどこにいても変わらず、「周囲に感染を広げないために考えた行動をとる」これだけなのじゃないかと、結論思うんです。田舎にいる間は都会にいる時より広げないように気をつけるとか、そういうことじゃないですよね。

田舎なので誰かが帰ってきてればすぐわかります。田舎の情報網は正確性に難あれど、スピードにかけてはすごいものがあります。マジで一瞬で広まります。「あそこんち帰ってきてるなー」と分かったときに、こちらの抱える「ここで広がったらどうしよう」という課題に対してどうするか。必要のない限り接触しないことです。飛沫感染なのだから、近寄らなければ感染しませんよね。そのくらいの冷静さは、持ちたいところです。帰ってくる側が「周りに広げない」という課題をきちんと認識していれば、必要以上に接触してくることもないわけで、それで済む話だったんじゃないかと。

自分の立場で抱える問題を、自分とは異なる立場の人の抱える問題にしてはいけないなと。冷静になれないときこそ、自分自身だけの課題にフォーカスすることで、他者への攻撃性は薄れるし、結果的に不要な争いは防げるかもと、思いました。

※これは完全に余談だけど、仮に直接抗議しにいった場合、やっぱり言われた側がマスコミに報せれば、「それってどうなの田舎ってマジ怖っ笑」的なことになるんだろうな〜と思うし笑

田舎って面白いですよ。

 

■帰ってくる人(特に里帰り勢)に対して、「(田舎が嫌で出ていったのに、)今どうしても帰ってくる必要があるか?」という感覚の田舎人が多いことも分かりました。私は今ここに暮らしていますが愛知県出身で親は名古屋に住んでいるし、まだまだプロの田舎人ではないので、この騒ぎをいろいろな立場から考えています。この課題については、また書きます。

 

今日はここまで。