Verdell

解決は求めていません。。。

マスク1枚、されど1枚

息子くんは毎日、保育園へマスクをしていきます。紙のマスクが手に入りにくい時期もあったし、何かしらつけてれば良いだろうということで、基本的に布のマスクをして行っています。

 

とは言っても保育園児のことなので、結局毎日ポッケの中でクシャクシャになっています。それを洗濯の時に笑いながら取り出すというのを、続けてきました。

それがここ数日、ポッケの中にもどこにもマスクがない、つまり無くしてくることが数回続きました。

 

それで旦那が、マスクをなくしてくることについて、物を大事にしていないということで息子を責めました。さらに、布マスクが1枚700円(毎日使うので可愛いやつさせたいな、少し高いけどいいか、と思いやや奮発した)という値段まで息子くんに伝え、高いんだから無くすなということも含めて叱るという事態になりました。

軽く、「おい〜これ高いんだぞお前〜」という冗談ぽい感じではなく、完全に怒っていて、その後も「はぁーないなーマジ…」みたいなかんじで不機嫌MAXな態度がしばらく続きました。

 

■たかだかマスクで…という感覚はおかしいのか?

こちらも黙っていれば良かったのですが、いい加減、不機嫌がしつこいので、「そんなに怒るようなことか?保育園児のすることだもん、仕方なくない?よく考えたら今まで一回も無くならなかったのが不思議なのであって、ふとどこかに置いたり忘れたり、すると思うけどなー。」と言いました。すると、「じゃあ毎日毎日700円ずつ使うことになっても仕方ないね仕方ないねで済ませるのかよ?」と、ちょっとよく分からないベクトルからの返答がありました。彼の中では、1枚700円もしているという部分が重要なようでした。これに対し私としては、騒ぎすぎだし、ケチだな〜と単純に思ってしまいました。

そもそも息子の方は当然、自分が毎日させられているマスクの値段など知るわけもないし、「700円もするのだから」と怒られても、イコール「なくすと怒られるからヤバイ」ということにしかならず、実際オロオロしていて何か有効なことが息子に伝わっているとは言い難い状況でした。「ものは大事にしよう、無くさないようにしよう」という価値観はもちろん必要であり、それを伝える必要はあると思いますが、1枚いくらしたとか、そういうことまで含めて怒る必要があるか?いつまでも不機嫌になるほどのことか?という疑問がありました。

あなたのその伝え方では、「なくすと怒られるからヤバイ」ということしか息子の中に残らず、本来伝えたいと考えている「ものは基本的に大事にする」ということが伝わっていないという心配がありますよ、ということを旦那に言いました。それから、ここ数回、無くなることが続けているわけなので、怒る前に、どういう状況で保育園で過ごしているか息子から聞き出すことも必要なのでは?だいたい、なくなったからイコール大事にしていないという解釈も、ちょっと直線的すぎるし、とりあえず、明日保育園を探してみるように言うとか、そういうこともするべきなのでは?と提案しました。そして、そんなに不機嫌になるほどのこととは思えない、たかだかマスク一枚で…とちょっとこれは余計なことかもしれませんが、言ってしまいました。

息子に詳しく聞いてみると、そりゃ落としてくるな、逆によく今までなくさないでポッケに入れて帰ってきてたなと思う感じだったので、それなら対策として明日から使い捨ての紙のマスクにしよう(もう品薄状態ではないのだし)、その方がなくなってもダメージがないしとも、言いました。

 

■自分がケチだと言われているようで不愉快

旦那の怒りポイントは、自分がケチくさいと言われたことにすり替わり、もはや息子への説教的なものはどこかへ吹っ飛んだようでした。マスク一枚でそこまで…と言われたことが相当頭にきたようでした。私としては、1枚700円ということが重要で(確かに安くはない。安くないという点には完全に同意する)、それなのに使い捨てのような無くなり方をするから怒っている、のだと認識していたので、その1枚700円ってのは、こども相手にそこまで強調しなくてよくない?と言いたかっただけなのですが。

 

■マスク1枚で金銭感覚論争に

そもそも、「なんか何回かなくなる日が続いてるし、話を聞いたらなくなっても仕方ない状況のように感じるから、明日から布じゃなくて紙の使い捨てのマスクにするね、だからってなくしても平気!ってわけではないから一応持って帰ってくるように頼むね」と息子に伝えればそれで良いだけの話しではないのか?

やはり、1枚700円するなどということを話して、だから大事しようという価値観を持たせることは不必要に思えます。700円というお金の価値、700円あるとこんなものが買えるくらいの額だと伝えることはそれはそれで良いと思いますが、やはり怒る必要も不機嫌になる必要もないと思うのです。

しかし、じゃあ1枚700円のマスクをなくしても平気という価値観なんだなお前はと言われると、厳密にはそれも違うのですが、なかなかどうして、伝わらないのです。まぁ確かにマスク1枚でそんなに…とは思いますが、それは対象がこどもであり、かつそういうことが起こりうる状況だと認識しているからで、大の大人がホイホイなくすには、1枚700円はもちろん高いという感覚はあります。だから、対応策として紙のマスクをさせようと提案しているし、それ以上でも以下でもない話なのですが、彼の不機嫌は感覚的にケチくさいと言われたところで燻っており、なかなか話がややこしくなってしまいました。結局、日頃からケチだと思われている(でも実際お金にうるさく、今回布マスクを買ったときも「700円…(高い)」とつぶやいていた)ことが相当ムカついたようで、じゃあ今後は値段的なことは何も言わないという、極端な着地点になってしまいました。

 

マスク1枚、されど1枚。。大事になってしまいました。疲れた。。コロナ離婚、分かる気がする、そんなことを考える夜でした。

考え方を変えてみる

旦那さんとの関係についてまた。

 

絶対離婚したいと思うほど嫌いというわけではないけれど、今までのいろんなことや今でも変わらないアレコレが作用して、どうしてももう一回盲目的に大好きになるとかはできない。という場合(私はここ数年まさにこの心境なのですが)、じゃあこの「明確に大嫌い」という気持ちと「大好き」との間の心境に名称をつけたい。どちらでもない、はっきりしない感じが、自分のことなのに自分で判断できずにいて情けなく、どうにもモヤモヤする。私だけだろうか。

明確に大嫌いをC、大好きをAとした場合そこまで極端にどちらでもなく、不快な日もあれば、これはこれで良かったかも?と思う日もあるといった感じの気分をCとAの間ということでBとしてみる。

私は長らく、Bの状態でいることを悪いことのように感じてきた。AあるいはCのどちらかに振り切ってはっきりとしないと、人生を浪費しているようで、もったいないし、はっきりしない自分に判断能力がないような気もしてくる。

 

だけど、この定義付けを採用すると、「私の気持ちは今、Bである。」とはっきり宣言できる。

単純すぎるか。でもけっこう、感情に名前をつけただけなのに、すっきりした。笑

 

適応する力

この関係、この生活に逃げ込んだのは他ならぬ私自身であって、その点に関しては言い訳できないし自覚もしているけれど、逃げた先にはまた違う種類の地獄があって、人生はつまりそういうことの連続であって、また逃げ出したところで結局また地獄なのだろうか…

 

行く先々で、しんどいなぁと感じる自分は社会というか世界に適応する力が弱いのかと、落ち込むのだけれど、それも果たして本当にそうかな?と考えるとそうでもないというか、だってやっぱり想定外のことってあるから。いくらなんでもそれは想像できなかったっていう類のストレスって割と常に存在するんだもん。

 

妊娠出産まではなんとか黙っていられても、子育て中って本当に余裕がない。そして余裕がないときに出るのが本音で、本性。お互いに。その本音や本性が割と深刻に想定外で本気でストレスになるってこと、あると思うのよ。

 

だけどそこでまた、適応できない、ストレスを感じる自分にもやっぱり落ち込む。一体どんな状況、環境ならストレスを感じずに生きられるの、私は?私ってそんなにワガママなのか?ワガママなんだろうな、ここでもまた合わない、辛いと思っているわけだし。困ったな、と思う。

 

家族とか夫婦とか、人と深く関わるからストレスが増える。それは分かっているけれど、完全に1人は寂しい。

だけど子育てを機にお互いにさらけ出した本性は強烈で、もう、もう一度好きになれるかと言われても無理な程度にはお互いを傷つけたと思う。

一度分かってしまったことは忘れられないし、喉に引っかかった小骨みたいに、気になり続ける。嫌いではなくても、好きという気持ちには戻れない。

 

このじわじわとストレスを感じる生活を、ずっと続けていくことに恐怖を感じる。かといって、打ち切る勇気も今のところ出ない。そのこと自体を相手に言い出す勇気も出ないし、もしもこの生活を打ち切った場合、結局はまたしても「現実から逃げ出した自分」ということになるわけで、それを受け入れる自信も覚悟もない。

 

身動きが取れないのなら、適応するしかない。適応する為には、なにも感じないようにするしかない。そしてストレスを上回る楽しみを自分で見つけて設定していくしかない。

そしてその先になにがあるのか?それがわからず苦しい。自分がどうしたいのか、分からない。ただ苦しい。

婚姻関係の継続について考える。

夫婦仲は表面上ごくごく一般的で普通で、ただその「夫婦仲が普通であるという状態」は互いの相当な努力の上に成り立っているという場合、婚姻関係の継続について考えたとき、デメリットがメリットを上回るのはどのラインからなのか。

 

互いの汗と涙と血にまみれた悲惨な闘いの末、8年かかってたどり着いたこの境地。

○仲良く明るい雰囲気で過ごしたい私

それをひたすら訴えたこれまで。

でも価値観はほんとうに人それぞれで。

○家族との時間くらい、雰囲気よりも、その時の感情、気分に素直にいたい夫

それも1つの意見で、否定はできず、多少無理してでも明るい雰囲気で過ごしたいという気持ちを押し付けることはできない。

押しつけることはできなくても、お願いという形で幾度となく打診してきた。

闘いを重ねて、その中で当然、向こうも努力してくれて、こちらも努力した。

今もお互いが、お互いの理想のために自分のスタンスを削って、争いの芽を摘み続けて、そうやって目をそらし続けて喧嘩はとりあえず回避して、でもそれだと結果として通常のコミュニケーションも当然減り、でも、それでも地雷を避けるために不要な会話を避け、確実に楽しめる、もしくは相手が好むと想定される内容の場合のみ話を振り。

そして、この行為は果たして何なのかと考える。私の場合基本として、「相手が怒りそうなことはしない」ということがベースにある。

残念ではあるがこれはもちろん、彼への純度100%の好意からくる行動ではない。でも気は遣っている。でもその気遣いは相手のためか?自分のためか?相手が怒ると自分が嫌だから、だから相手が怒ることはしないということなのだから、ほぼ自分のためなんだろうと思う。自分のための行為となると、急にそれが悪いことのように思える。

でも。悪いことのように思えても、やっぱり、自分の本当の願いは譲れない。スタンスは崩せない。それはワガママなのだろうか?彼のことが本当に好きならば、自分の願いなど変えられるのだろうか。

 

《彼のことが好きかどうか》

好きではないが憎しみのような気持ちは消えた。闘いの日々を経て、今はこんな感じで落ち着いている。憎しみのような気持ちは、無いのではなく、消えたというのが正しい。闘いの中で、あまりの話の通じなさ、無理解、価値観の絶望的な違いに打ちのめされた。耐えられないレベルのストレスを感じ、ぐちゃぐちゃの憎しみというか、いっそ殺してやりたいような気持ちを抱えて、本当に消耗の激しい、苦痛な期間だった。

そして人にはやはり我慢の限界というものがあって、私にもあった。8年もかかってやっとではあるが、限界を超えた。限界を超えると、もう本当に本当にどうでも良くなった。何をあんなに一生懸命、変わらないものを変えようとしていたのか、自分も変わろうとしていたのか。憎しみは消え去り、そして彼のことをちっとも好きではない自分にも気づき、この中年の男は一体なんなんだろう?という気味の悪さを感じながら、表面上仲良く、普通に過ごしている。

 

この気味の悪い感覚とこの先ずっと付き合っていくことを想像すると、ちょっとゾッとする気もする。でもやっとここまで来た、というような気もする。

 

お互いもう好きでも嫌いでもない夫婦は結構多いと思う。でも実際には別れるのは気力的に辛い。一緒にい続けることについて。デメリットがメリットを上回るのはどんな場合か?そしてその場合、ほんとうに婚姻関係は解消したほうが良いのか?

 

何を目的にいつまで何を頑張ればいいのか、誰か教えて〜

 

SNSについて

テラスハウスに出ていた女性が、SNS上で誹謗中傷を受けて、自殺したというニュース。

 

私個人は、すべてのSNSについてアカウントの作り方すら分からず、なにもしていない。見てみたいなーと思う人がいても、アカウントを持ってないと結局しっかりは見れないから、(ログインしてください、みたいになる→面倒くさいから、じゃあいいや、となる笑)やはり何もせず今日まで過ごしているし、何の不便も感じない。誰にも、そこまで興味ない…のかな?好きだなー応援してるー😍って思う人は、たくさんいるんだけどな。でもログインしてください登録してくださいってなると途端に面倒くさくなって退散する笑

 

世代的なものもあるんだろうけど…SNSを使いこなしてる人ってすごい。疲れないのかな。そしてそこからなにが得られるのかな?面白いのかな?面白いんだろうな。私はそんな風に、のほほんと傍観してきた。これからも使う予定はない。

 

今回の件は、原因が本当に度を超えた誹謗中傷であって死因が本当に自殺なのならば、これはほんとうにほんとうに、痛ましいこと。

今回の様な結末にならないから明るみにならないだけで、数限りなくこういうことって、匿名での誹謗中傷って、あるんだよね?芸能人が一気に、僕も私も書かれてます!って、言い出してるわけで、それはつまり、今までは有名税ってことでスルーしてたけど、こういうことが起きた以上、スルースキルとか言ってる場合じゃなく、度を超えた誹謗中傷は処罰の対象であることを実証していく、という意思表示ってことなのかな。それ自体はどんどんやるべきだと思う。

 

個人的に昔から常々思っているのが、SNSは特にだけど、匿名という状態では使用できないようにしたらいいのに。ってこと。どこの誰かを表示した上で意見なり誰かの批判なりを発信するのって、かなり勇気いると思うので。その勇気出せる人が、度を超えた誹謗中傷はしないと思う。匿名であることで気が大きくなるし、調子に乗る。これは人間だれでもそう。誰かになにかを発信するなら、その本人に直接面と向かっても言えることを、発信するべきだと思う。コミュニケーションツールなんでしょ?あくまでも。本人を目の前にしたらびびって言えないようなことは、そもそも意見というレベルに到達していないものなんじゃないかと。。実際に著名な人に面と向かう機会は一般人にはないので、SNSを使って、発信する。これはとても便利で、ありがたい機会。だからこそ、匿名である必要、ないんじゃないかと。直接面と向かって言えることなら、どこの誰かを、きちんと名乗って、発信する。それができない人はSNSを使えない。それでいいじゃん、だめなのか?

匿名で誹謗中傷している人を時間かけて見つけ出して、ほら、見つかるんだぞ!次はお前を公開処刑じゃー!って、それももちろん効果的だけど、見せしめ感は否めないし、その処刑風景自体は誰得?って感じだし…。見つけ出してネット上に拡散して、社会的に死亡させるってことも、それもドヤ顔でやられても、そこはイキってる場面じゃないのではって話で、まぁ抑止力には確かになるけれども。見せしめで抑止するよりは、『言いたいことがあるなら、まず自分の名前を名乗って相手にに直接言いましょう』っていう、当たり前のことを広げられないのかな。という考えから、ネット上だろうがなんだろうが、匿名での使用を禁止したら?って思ったんだけど。。。

でも、そうすると多くの人がやっぱりその後の反応とか怖いしで、何にも呟けなくなっちゃうのかなぁ。それに、人に知られると困る内容の、でも黙っているべきではない事柄の場合もあるか。難しい。

 

あと、今回の、テラハの件に関しては、彼女の周りの大人たちは、いったいこの事態をどう思っているの?という憤りに近い疑問がある。特に番組の編集を担当していた人たち、制作側の人たち。

台本の有無は知らないけれど、当然編集作業はされているわけで、彼女が少しキツい感じのキャラに映るような演出があったのは確か。まずもって、そこを想定して試聴することもできず、それをほんとうの木村さんの人間性と捉えて非難するという思考回路は、単純にテレビ番組に没頭しすぎだし、想像力の欠如が著しく、成熟した人間のやることではないというのはもちろん大前提。

ただ。制作側として、そういう未熟な人間が過剰に反応すること自体は、今の世の中、容易に予測できたはず。さらに言えば彼女が数ヶ月SNS上での誹謗中傷に苦しんでいたことも、把握していたはず。(把握していなかった、で押し通すつもりならそれはそれで最低)

本当に、周りの大人たちは、一体なにをしていたの?なぜ、彼女からSNSを切り離さなかった?彼女が受けている誹謗中傷に対してのフォローは?本当にちゃんとしていたの?していたら、あぁいう編集演出はしないと思うのですが。数字取りに行ってたんだろうなぁ、と思う。そこに責任はないのですか?匿名で叩く人は、悪い👎それはもちろん大前提。でも、でも。周りの大人が、まだ22歳の世間知らずにしてやれるフォローって、あったんじゃないの?炎上上等、数字が取れるって、そう思って演出してたんじゃないのかって思ってしまう。

 

匿名で調子に乗った卑怯者たちへ。

なにがリアリティ番組だよ、演出されてるに決まってるんだよ。考えろよ。考える必要もないくらい圧倒的に事実じゃん、ドラマなんだよ。なに本気になって罵倒してるの。たしかに言論の自由表現の自由は皆に与えられた権利だよ。でもそれ以前に、人を殴る権利は誰にも認められてないんだよ。勘違いすんな。

 

それから番組制作に関わった人たちへ。この事実を、どう受け止めるのか、あなた方は一体なにをしているつもりだったのか、ぜひ発信して頂きたい。もちろんどこの誰かを名乗った上で。

 

 

 

喧嘩の後の空気って

人格否定しあうレベルの大ゲンカの数分後に普通に会話してるのって、私の感覚からするとほんとに謎なんだけど、むしろそうじゃないこっちがしつこいみたいなこと言われて更に謎は深まるばかりなんですけど、いやいや、そんなの、だっておかしいでしょ。家族だからとかそういうレベルの話じゃないっていうか、それ有りにしたらマジでなんでも言いたい放題じゃん。

 

まぁいいんだけど、私はできないのよ、急に何事もなかったかのように、話すとか、普通にそのイラつきを引きずるんだけど、それはおかしいみたいな空気だされましても。おかしいのはお前だろって話。

 

価値観の不一致は大前提として、言い合いの後に普通に話すって、無理だから。とにかく言い争いが発生しないように気を使って過ごしてますよ、もちろん。それだってありえないほどストレスに決まってるじゃん、でも努力してんのよ、とにかく黙るように。努力不足なのか?全てを私の努力不足にされても納得いかないんだけど、まぁいいや、そんで努力虚しく喧嘩になり、こっちは死ぬ気でファイトしてんのに、数分後には普通に喋るって、お前、お前の努力ってどこにあるの?って話。こんなことを死ぬまで続けるのかと思うと発狂しそう。

 

え?結構普通だったりするの?喧嘩の数分後には何事もなかったかのように話すのみなさん??嘘でしょ??勘弁してよ。

記者会見、という舞台⁇

あれは果たしてどこまでが…と思わなくもない。

田村さんの方はまさしくロンブー淳のもう片方という感じで、芸人としてもよく知らない。宮迫さんの方は、テレビをほとんど見ない私でも、売れている芸人として認識しているし、テレビ界での完成度は高いんだろうなぁという印象。

ただ、宮迫さんに関しては特に、あまり誠実な印象はそもそもない。別に誠実感というのは芸人に要求される要素ではないと思うので、だから嫌いとか好きとかそういう話ではないけれど、まぁうまく立ち回っているんだろうなぁという、勝手な印象くらいは抱いていた。

 

ここへきてこの規模での騒動は、いくらなんでも取り上げ方が過剰な感はあるけれど、しかしながらあの2人はやっぱり、これはむしろ敬意を込めて言うのだけれど、根っからの芸人であって、果たしてあの会見は、どこまでが…と思ってしまったのは本当のところ。

見た人が、これは吉本の社長がマジでクズ!!となるように、涙ながらに演出することは、芸歴、才能を含めて、スキル上可能であるように思われる。脅しのような事実はあったのだろうけれど、そこはまぁ、あったんだろなぁとは思うけれど、果たして本当にあの言い方だったのかどうかは、それこそ録音がない以上証明のしようがなく、なんとでも言える。ちょっとした言葉遣いやトーンなんかは簡単に操作できる。言った言わないの世界に持ち込めば、あとは世間から同情をひいている方の勝利は可能性として高い。リスクを冒す以上、その程度の算段はあっておかしくないし、別に悪いこととも思わない。不誠実ではあるんだろうけれど。

 

あくまでも私個人の感じ方だけれど、一般社会の一般的な人間としては、金銭のやり取りの相手がどういう人かとかそういうことは割とどうでも良く、宮迫さんに関しては特に、不倫騒動のオフホワイト発言にしても今回にしても、嘘をつく、適当にごまかすという意思がけっこう明確にあるところに、なんというか、好きになれない気持ちが発生する。わりとこんな感覚の人多いんじゃないかと思うけど、どうなんだろう。

 

それがここへきて急に、「社長に脅されてたんです、僕が甘かったんです」なんて泣かれても、ついこの前までなんとかごまかして風化を待とうみたいなスタンスだった人間が、まぁ事が事ではあるけれど、それでもやっぱり、ここまで潮らしく変わるものなのか?という疑問。こうなったらガッツリ戦って、そんでもって必ず勝つ!!みたいな図太さの上での、迫真の演技って可能性、充分あるでしょ、とあくまでも個人的には、思う。zozoの社長のツイート炎上してるみたいだけど、わかる。わかります。まぁ私は別に応援したくはならないけれど。

 

結果的に悪い人たちからお金を受け取っていて、被害にあっている方もいるという事実には、本人達は本当に驚いて、とてもとても反省しているんだろうけれど、それでもやっぱり、当初逃げ切ろうとした事実は消せないし、重い。それがコロっと謝罪会見しようなんて、本当になったのか?会見を止められてたのは事実として、本当のところどういう経緯で、どういう言い方でどういう言葉でっていうのは、2人による演出がある程度されているのではないか?と思う。

 

別にそれを暴きたいとか、ほら見ろだからそんな誠実なわけないじゃんとか、そういうことを言いたいのでは全くないんだけど、個人的にはやっぱりゾーンに入った芸人はすごい演技するなぁと半ば感心して見ていたので、あまりに世間の手のひら返しがすごくて、そんな単純な流れ⁇と違和感を感じたのでブログに。

 

明日の社長の会見は、まぁはっきりしたことは言わないのかもしれないけれど、認識が違ったとかなんとか言って、両者ひくにひけず、ますます泥沼化するだろうなぁという感じ。

で、そのうちそのうち、さすがのマスコミも飽きるから、そこを辛抱強く待って。吉本は吉本のまま、あの2人は今よりさらに環境をブラッシュアップして、ネタにするか無かったことにするか、それはわからないけれど、まぁこの会見で世間を味方につけることに成功したし、あっという間に復活するだろうなぁと思う。重ねて言うけどそれがダメだとかでは全くなく。むしろ敬意を込めて。仕事だからね。

 

吉本の社長さん、仕事だからね。演技でも演出でも、まさかの本当のことでも、わりと本気でやらないと負けるかも。芸人が舞台の上で魅せる力は実際すごかった。社長さんの仕事ぶりに期待しつつ、おやすみなさい😴