Verdell

解決は求めていません。。。

イライラしない育児。

私はまだママ歴4年の若輩者なので詳しく知らないけれど、イライラしない育児、怒鳴らない子育て、みたいなの、流行りですよね。

 

流行りっていうと廃りもあるみたいだけど。

実際、育児方針的なものにも、流行り廃りってあるんだろうか。イライラしない怒らない育児が流行した時期は過去にもあったんだろうか。どうなんだろう。

 

 

だいたい、どうしてこういう育児方針が発生してきたのだろう。

怒鳴られて育てられた人が反面教師的に?

怒鳴られて育てられた人間とそうでない人間とでは、保育者の立場から見ると有意に差があるから?あるとして、その差というのはどういうこと?その違いに良い、良くないがあるということ?

 

 

私自身も、別に、こういう育児に反対なわけでは決してない。むしろ、そうありたいと思っていたし、イライラすること、怒鳴ることは子育てに良くない、と漠然と思ってきた。できるなら。できることなら、そういう、イライラしない親でありたいとは思う。

 

でも、イライラしない親でなくてはならない、怒鳴る親は良くない、そういう風に思いつめると、辛かった。

辛すぎた。

育児が楽しくなかった。

どこまで耐えられるかみたいな、いつか終わるとか言われても、そんな漠然とした言葉では全然前を向けないし、そのいつかは本当にいつなんだろう、という恐怖しか湧いてこなかった。

子育てが全然楽しくなくなって、いつ終わるんだろういつ終わるんだろうとしか思えなくなってた時期があった。

 

 

 

 

冷静に考えたらそんなのオカシイので、怒鳴らないことを、そこまで重視するのをやめた。自分には無理だと諦めたし、子どもが明らかに相手をイラつかせることをしているのに、私だけが一方的にイライラしないように耐えるなんて、そんなのいくら相手が子どもでも納得がいかないので、普通にイライラすることにした。怒鳴らない、イライラしないことに関して、0か100ではなく、なるべく…くらいに目標ラインを下げた。

 

 

 

 

だからというわけでもなんでもないけど、保育士さんでも助産師さんでも地域の保健師さんでも、ママにアドバイス的なものをする立場のだれでも、ママに「怒鳴らない育児」「イライラしない子育て」を刷り込まないでないでほしい。

 

よほど意気込んで準備をしている妊婦さんは別だけど、ほとんどのママは、出産して育児が始まって、授乳から始まりいろんなお世話の中で、これでいいのか悪いのか判断材料がなくて不安になって、とにかくネットや本で調べるんだと思う。

逆に、なんとなく子どもと意思疎通が取れるようになるころからは、子どもの性格というか気質みたいなもので心配な部分が出てきて、ネットや本でそういう類のことを調べ始めて、きっとそこで初めて、「怒鳴らない育児」「イライラしない子育て」に出会うんだと思う。だからそれ以前のなにも知らない、判断材料のない、ママの頭がなんでも吸収するスポンジ状態のときや、あるいはだんだん自我が出てきてママが不安になっているタイミングとか、とにかく周りの言うこと全部吸収しちゃいそうな状態のときに、「怒鳴らない育児」「イライラしない子育て」を刷り込まないでないでほしい。本当に鵜呑みにしちゃうから。

 

ネットも本も、結局はほんとかどうかよく分からなくて、実際に会って話をする人の言うことって、その時期の私にとっては、小児科医かそこしか頼るところがないから、全部正しく聞こえるものだった。

 

面と向かって話をする人に「怒っちゃダメよ、イライラは良くないわよ」と言われると、なんとなくイライラしていたり、まさに怒ったり泣いたりながら悪戦苦闘している最中だったからだろうけど、すごく責められているような気持ちになって、涙が出そうになって、聞きたいことはあるのにそんなことは吹っ飛んでしまって、とにかく、あぁ私が良くないんだなぁ…という落ち込みに囚われてしまった。

 

里帰りせずに嫁ぎ先で出産したからか、お義母さんが気を遣ってくれて、退院後に助産師さんの出張サービス的なものを頼んでくれて、数日間助産師さんが家にきて、赤ちゃんの世話をしながら私の様子を見て、ケアなりアドバイスなりをしてくれるというものだったんだけれど、その時の助産師さんがとにかく、「イライラするからダメだ」みたいな言い方の人で、悪気は全くなくて、ひたすら真面目なだけなんだろうけど、初めての産後の不安定な時期というのもあって、一言一言がグサリグサリと刺さって、つらくてどうしようもなかった。授乳がうまくいかないのも、うんちが少ないのも、私がイライラしてるからなのか…みたいな気持ちになって(さすがにそんなことはありえないでしょ笑)、悲しいし不安だし、そのたった数日の間に乳腺炎にもなって、それもイライラ→授乳がうまくいかない→乳腺炎だみたいに言われて、とにかくとにかく、私がイライラする(今にして思えばそんなにイライラなんてしてない)からいけないんだ、ということが、心にこれ以上ないくらい刻みこまれた。

 

 

子どもの性格や気質なんかは、ほんとに誰にもどうしようもないもので、一生懸命やってるからってこちらの想いが通じるものでは全然ない。

 

それでもやっぱり、子どものステキなところ、心配なところは全部、親のおかげだったり親のせいだったりするように感じてしまう。それくらい、頭の中が子どものことでいっぱいになるくらい、子どものことを考えている、そこに「怒鳴るからダメなんです」「イライラするのは子育てに悪影響です」とバーっと言われると、そうか、この子のこういうところは、私がイライラするからこうなんだ、怒るからこうなっちゃったんだ、とかって、全部親のせいだと考えてしまう。

 

新生児期の強烈なトラウマも作用したと思うけど、長男のイヤイヤ期はもう、辛かった記憶しかない。朝が来てまた一日が始まるのが嫌でたまらなくて、彼と関わる時間を1秒でも少なくしたいとまで思いつめていた。

今考えれば、理由なんかないけどいきなりイヤイヤが始まる→私がイライラする、というだけの、よくある話なんだけど、当時の私の頭の中では、まず前提として、彼のイヤイヤ、イライラの原因は私(のイライラ?)にあるとなっていたので、癇癪が始まるたびに、「今の私のなにが、どこが悪かったの?」という感じで真面目に取り組んでいたので、しかもそれが一日に何度でも発生するので、もう発狂しそうだった。

イヤイヤを回避するために気を使って動けば早いんだろうけど、「子どもは家族の一員とであって中心ではない」という考えを捨てきれず、ワガママをワガママのまま流せない頑なさも私の中にあって、ダメなことはダメと言い続けた。

でも、私の気持ちを通すために結局はイライラして、彼の癇癪につながっているのかと思うと、やっぱりイヤイヤとか癇癪とかは私が原因なのか…みたいな気持ちになって、もう、子育てをしているのか、イライラしないために生きているのかよく分からない状態になっていた。

 

 

 

もう一度言うけれど、

子どもの性格や気質なんかは、ほんとに誰にもどうしようもないもので、一生懸命やってるからってこちらの想いが通じるものでは全然ない。

授乳がうまくいかないとか全然眠れないとか、ほんとにいろんな理由でイライラするのが育児だと思う。そんな、一生懸命やってるからこそのイライラで、子どもが癇癪持ちになったりワガママになったり、するわけない。なんでもっと早く、気がつかなかったんだろう。

 

大人の理不尽なイライラを正当化してはいけないけれど、イライラしない育児なんて、目指さなくてもいいのではないか。

 

 

ママを助けるために活動している方には、どうかまず、「人間だから、頑張ってるのにうまくいかなかったり、眠れなかったりすれば、もちろんイライラすると思うよ」とママに言ってあげてほしい。なかなか自分で自分のイライラを肯定することは気が引けて難しいから、親が少しくらいイライラしたって、それで子どもがすごく癇癪持ちになるとか、そんな計算問題みないな話じゃないよ、それくらいは大丈夫だよ〜って言ってあげてほしい。

 

もちろん不必要にイライラしたり、子どもの扱いが雑になったり、そういうのは良くない。

だからこそ。イライラしない育児よりも、喜怒哀楽のある楽しい育児をまっとうしたいと思う今日この頃。