Verdell

解決は求めていません。。。

しつけとは。。

これまで私がきちんと注目していなかっただけで、ここ最近急にこういう事件が増えたわけではないんだろうけれど。

 

私はあまり子ども関係の諸々に神経質な方ではないし、ナイーブになることも少なかったけれど、やはり親になった影響は少なからずあるなと感じる。

 

ここ最近の、子どもが犠牲になる事件については、テレビや新聞で少し知るだけでも胃がひっくり返りそうになって直視できない。

 

 

まだ5歳の子どもが、あんな悲惨な世界しか知らずに死んでしまうなんて。

あの子の中ではあれが、生きるということだったと思うと。。。

あんなものは、あんなやり方は間違っていて、あなたはそんな風に扱われる存在では絶対にないと、言ってあげたい。

どんなに辛い、恐ろしい毎日だったか。

それでも両親を頼っていただろうし、どんな親でも好きだから、頑張っていたんだろうなと思うと、やり切れない。

 

報道で出ている、反省文のようなものは、もうおぞましくて内容まで見ることができない。テレビから聞こえてきそうになるとチャンネルを変えてしまう。

 

捕まった人間は、しつけのつもりだったと話しているようだけど、ほんとのほんとに、しつけのつもりだったという可能性も、あり得るように思う。だから恐ろしい。

 

 

しつけ。

 

あの事件はもちろん常軌を逸しているし、比較対象にはならないけれど。

 

5歳まで育ててきて、できるできないやるやらないを極度に重視していた点を考えると、「乳幼児を、泣き止まない等の理由で育児放棄含めて虐待」というケースとは、また違うところに原因があるように思う。親が親になりきれていないとか、単純に親の怠惰とか、それだけが理由ではないのではないか。

 

 

 

失敗したり、(親の立場からは)子どもが自分でやるべきことをやらなかったりとか、そういうときに過剰に罰を与える、暴力をふるうというのは、つまりそれだけ、子どもに対しての要求が(一般的な感覚からすると異常に)高いということだけれど、「まだ5歳の子どもにそんなことを要求して、できないからって叱る(結果として虐待)なんて、育児ってそういうことの連続だし、それに耐えられないなんて親になる準備が全然できてない、親として不適格、そんなところに生まれてきた子どもがかわいそう。」というだけの話ではない。

 

「子どもに対しての要求、希望、願望」というのは、これはきっと、どの親にもある。

普段子どもに対して、不必要な期待や心配はしないように、と思っているけれど、でもやっぱり私の中にもある。

 

けれど、それはあくまで、子ども本人の今後や今を思っての心配であるべきで、子どものできるできない上手い下手を、保育者(主に親だと思うけど、祖父母含め家族)の、人間としてのあるいは社会的な評価につなげることは、絶対にしてはいけないと考えている。

 

具体的に。

例えばうちの息子くんは、年少さんになった今でも、外でも家でも挨拶があまりできていない。

私は、挨拶ができないことがとても心配で、なんでしないんだろ?と考えてみたり、挨拶は?と促してしまったり、まぁ軽く悩んでいる。

ここで、「もうすぐ4歳になろうとしてるのに、挨拶がちゃんとできなくて、いいのかなぁ。この先ずっとこの調子だと、人に失礼だし、いろいろと心配…。これだけ挨拶しようねって言ってるのに、なんでしないんだろ。。。」と考えてしまうことは、結論から言うと、良くはない。いつ挨拶をするようになるかは子ども本人が決めることで、挨拶はしてもされても気持ちがいいよと伝えたら、あとは本人に任せる、信じる、考えない。万事においてこれくらいじゃないと、本当に子どもを1人の人間として対等に尊重しているとは言えない。

しかしまぁ、現実的には、タイムリミットがそこら中にあるし、相手のいる社会で生きているわけなので、上記のように徹底的に子どもを信じて任せきるというのも、ちょっと難易度が高すぎる。

だから、そう考えてしまう、というのはセーフだと思う。単に感情の動きであって、それは仕方ないこと。子どもに伝えるか伝えないか、伝えることにするなら言い方に、工夫の義務は生じるけれど、考えてしまうところまでは、仕方ないし、自由。だからセーフ。

 

セーフだし、絶対、どの親にもある。

 

問題だと思うのは、この例えの場合、親が、「あなたが挨拶できないと、私たち(の親としてのスキル→人間としての評価)がちゃんとしてないみたいに思われるでしょ」という思考回路に陥ることだと思う。

 

また逆に、子どもがなにかいいことが出来たりすると、「●●さんのうちはしっかりしてるんだね〜」と親が褒められるいう展開もよくあると思うけれど、それも、親側が、子どものできるできないによって自分の人生的な評価を下されるような気になるので、問題だと思う。

 

 

完全に私個人の推測というか想像の域を出ないけれど、

今回の事件というのは、

・子どもが「できる」と、良い親→良い育児ができている良い人間だと評価される

・子どもが「できない、やらない」と、ちゃんと教育ができていない→できない人間だと判定される

 

こういう考えが行き過ぎて、こんがらがって、どうにも止まらなくなったという一面も、あったんじゃないかと考えてしまう。

 

もちろん、どんなことも理由にはならないし、そんなことが事情になるとは思っていない。

 

 

ただ、子どものできるできないやるやらないで、自分が良いとか悪いとかジャッジされているような気分になることって、私はけっこうある。

「●●●してないとママが○○だって思われるじゃん!!」って、キレながら言ったこと、多分ある。

 

だから、人ごとじゃない。。。

あそこまでなるのにはまた、違った原因や背景が作用していると思うけれど、私にも、子どものできるできないやるやらないを通して自分が評価されている気になることはあるわけで、こじらせて行き過ぎた言葉や育児につながらないとも限らない。

 

自分自身や社会からの評価を気にした、自分のための言葉は、しつけとは正反対。

しつけとは、伝えて待つこと。

 

 

今一度、心に刻む今日この頃です。。