Verdell

解決は求めていません。。。

不公平に対する感情の処理が上手くならない。

昔から、世の中の不公平や、ずるい人に対して、イライラしたり納得がいかなかったり、とにかく上手く処理ができなくて、ずるいとかなんで?とか、そういう感情に引きずられることがよくある。

もういい年なんだから、世の中そういうもんだよと流せばいいことは百も承知で、表面上そうすることは余裕でできる。なんでもないような顔をして、非協力的な人にもニコニコ、頭を下げたり、ほかっておいたり。そうした方が波風が立たないことはよーく分かるし、それは特に抵抗なくできる。

ただ、心の中ではモヤモヤイライラし続けて、なんでこんなことがOKなの?とか、いつか絶対痛い目に会うはずだとか、そういうことを考えてしまう。

 

もっと若い頃はそれすらもできなくて、顔や態度に出たり、ずるい人にそれはずるいでしょと直接言ったり、闘っては泣いて、悔しくて、そういうことの繰り返しだった。

当然そういう人間はウザがられる訳で、味方だと思っていたというか一緒に文句を言っていた人達すらも、本当にアクションを起こしてしまうとそれは引くようで、離れていった。当時の私の感覚では、そういう人達すらもずるいわけで、不公平さが許せない以上ずるい人達と一緒にいるのはこっちだって嫌だし、グループみたいなものから浮いて、いわゆるボッチになった。

私は間違ってないと、それはわりと今でも思うけど、結果として一人ボッチなのは、悔しかったし辛かった。なぜ、私がこういう目に遭わなくてはいけないのか、考えても考えても分からなかったし、正直今でも分からない。ただ、世の中はそういうもので、自分がその中で波風を立てて、上手くやれなかったんだということは、分かる。

不公平を容認できないという根本が解決されていないので結局のところあまり変わっていないのかもしれないけれど、上記の学生生活もそれなりのダメージを私に与えていて、現在の私が表面上なにも思っていないような態度で過ごしているのは、ほぼこれの影響といってよい。

 

■はじめに戻ります。

世の中の不公平や、ずるい人に対して、イライラしたり納得がいかなかったり、とにかく上手く処理ができなくて、ずるいとかなんで?とか、そういう感情に引きずられることがよくある。

これが発動されるのは、やっぱり気を抜いているからだろうけど、旦那相手の時がほとんど。

 

昨日の夜また、例のごとく「だれだれさんがあーだこーで、そんなんずるいくない?ずっとそのままでいいわけないし。」というような話をしてしまった。

いろいろやりとりはあったんだけれども、最終的に彼から言われた一言が、「考え方が、攻撃的すぎる」というものだった。

 

そうなのか。攻撃的。。。

 

たしかに、いつか痛い目に会うに決まってるとか、報いを受けろとか、言ってることはある。でもそれは、やらなかったならやらなかったなりの、結果を引き受けるべきだということを主張しているのであって、気に入らないからやみくもに攻撃しているのとは、違う。

 

 

夫婦間で1番やってはいけないことだけど、でもやっぱり、「そこは分かってくれていると思っていた。」

 

でも違ったんだ。自分の思うように動かない人間を気に入らないから攻撃してる、そういう、ふうにしか見えてなかったんだ。「分かってくれてると思ってた」は、本当にダメなんだけど、だからそういうことじゃないと説明しなきゃ、いけないんだけど、でももう、言葉で説明する気も失せた。

だいたい、やらなかったならやらなかったなりの結果を引き受けるべきだということを主張も、気に入らないからやみくもに攻撃しているということと、私が思っているほど違わないのかもしれない。

 

でも。

「人がどうかなんて考えずに、自分がどうするのがよいかということに集中すれば、他人がずるいとか不公平だとか、そういうことは気にならないじゃん」と、殊勝な顔で言われて返す言葉もないけれど、ずるい人のせいで具体的な迷惑を今現在被っている私が、外では出せないイライラを少し家で愚痴ることだけで、それがそんなに攻撃的なんだろうか。本当に攻撃的な人はそれこそ外で相手に直接言うんじゃないの?とか。言い訳してしまう。

 

自分の中に攻撃的な考え方があるのなら、それは無くしたい。そのためには結局、ひたすらに黙るしかないんだろうか。ないんだろうな。

という結論を得た夜でした。悲しい。