Verdell

解決は求めていません。。。

素直が一番。

昨日は、職場の先輩から連絡があって、その内容は、その先輩の家庭に関するハッピーニュースで私個人には少しも関係のないことだったんだけど、それでも、ただただ単純に、とても嬉しい気持ちになれた。

私が、人の、まぁ言ってしまえば自慢話のようなものを、僻んだり妬んだりを少しもしないで心から素直に喜べたのは、果たしていつぶりだろうか。

嘆かわしいことだけれど、人のハッピーニュースを聞くとき、「いうて◯◯なんでしょ」とか、「◯◯のおかげじゃん」とか、そういう黒々した気持ちが、ほんの少しとはいえ確かに、いつも存在していて、その人達が妬ましい、羨ましい、と思う感情そのものと、そう考えてしまう自分への嫌悪感で、本当に悲しい気持ちになる。伝えられたニュース自体のハッピーさは、自己嫌悪や、相手を羨ましいと思うといった、ほんの少しのマイナスな気持ちで吹き飛ばされてしまう。

いつになったら、どんな話なら、私は人の嬉しい話楽しい話を、100%素直な気持ちで祝福できるんだろう。ずっとそう悩んでいる。

それほど人を羨むほど、自分の理想と異なる環境にいるのか?それほどのストレスが実際かかっているのか?というかそもそも、人の話をネガティブに捉えてケチをつけてしまういつものパターンに、原因だの理由だのはなくて、ただ、私がそういう人間なだけなのでは?もしそうならば、変わりたいけれど、具体的にどこからどんな風に変えていけば良いのか、ボンヤリしてしまって分からない。

薄っぺらだけど、でも、人から嬉しい話を聞いたときくらい、いい人になりたい。本気の本気でそう悩んできた。

 

だから、昨日は自分に驚いた。

なにかいつもと違うことがあったわけでもなく、むしろここ最近、旦那との関係や子育てについての悩みが深刻さを増していて、それによる自分の落ち込み方を考えると、とてもとても、人の自慢話を聞いて妬まずにはいられないような精神状態だったのに、なぜか、素直に「えー!!すごいすごい!!おめでとう良かったね!!頑張れ頑張れ!!」という気持ちで満たされた。本当に100%、その気持ちで心がいっぱいになった実感があった。

普段の感情の動きと違うから、瞬間、「おや?」という感じがした。その、「おや?」という感じすら、ものすごく鮮明に、ゆっくりと感じられた。

あぁ、私は今、嬉しいなという気持ちで満たされたんだなぁということが、それこそすっきりと解けた計算問題のように、頭と感覚両方で理解できた。こんなことって、今までにあっただろうか。子どものころにはあったかもしれないけれど、少なくとも記憶にない。それくらい、驚きの感覚だった。

自分にも、こういうことがまだあるんだなと、自分自身に、とても嬉しくなった。30代になっても、嬉しい話を100%喜ぶ日もある。

次もまた素直に喜べるとは限らないし、私のことだからきっと喜べないことの方が多い。

 

それでも、今日の、こういう自分の気持ちの動き方は、素直に喜びたい。