婚姻関係の継続について考える。
夫婦仲は表面上ごくごく一般的で普通で、ただその「夫婦仲が普通であるという状態」は互いの相当な努力の上に成り立っているという場合、婚姻関係の継続について考えたとき、デメリットがメリットを上回るのはどのラインからなのか。
互いの汗と涙と血にまみれた悲惨な闘いの末、8年かかってたどり着いたこの境地。
○仲良く明るい雰囲気で過ごしたい私
それをひたすら訴えたこれまで。
でも価値観はほんとうに人それぞれで。
○家族との時間くらい、雰囲気よりも、その時の感情、気分に素直にいたい夫
それも1つの意見で、否定はできず、多少無理してでも明るい雰囲気で過ごしたいという気持ちを押し付けることはできない。
押しつけることはできなくても、お願いという形で幾度となく打診してきた。
闘いを重ねて、その中で当然、向こうも努力してくれて、こちらも努力した。
今もお互いが、お互いの理想のために自分のスタンスを削って、争いの芽を摘み続けて、そうやって目をそらし続けて喧嘩はとりあえず回避して、でもそれだと結果として通常のコミュニケーションも当然減り、でも、それでも地雷を避けるために不要な会話を避け、確実に楽しめる、もしくは相手が好むと想定される内容の場合のみ話を振り。
そして、この行為は果たして何なのかと考える。私の場合基本として、「相手が怒りそうなことはしない」ということがベースにある。
残念ではあるがこれはもちろん、彼への純度100%の好意からくる行動ではない。でも気は遣っている。でもその気遣いは相手のためか?自分のためか?相手が怒ると自分が嫌だから、だから相手が怒ることはしないということなのだから、ほぼ自分のためなんだろうと思う。自分のための行為となると、急にそれが悪いことのように思える。
でも。悪いことのように思えても、やっぱり、自分の本当の願いは譲れない。スタンスは崩せない。それはワガママなのだろうか?彼のことが本当に好きならば、自分の願いなど変えられるのだろうか。
《彼のことが好きかどうか》
好きではないが憎しみのような気持ちは消えた。闘いの日々を経て、今はこんな感じで落ち着いている。憎しみのような気持ちは、無いのではなく、消えたというのが正しい。闘いの中で、あまりの話の通じなさ、無理解、価値観の絶望的な違いに打ちのめされた。耐えられないレベルのストレスを感じ、ぐちゃぐちゃの憎しみというか、いっそ殺してやりたいような気持ちを抱えて、本当に消耗の激しい、苦痛な期間だった。
そして人にはやはり我慢の限界というものがあって、私にもあった。8年もかかってやっとではあるが、限界を超えた。限界を超えると、もう本当に本当にどうでも良くなった。何をあんなに一生懸命、変わらないものを変えようとしていたのか、自分も変わろうとしていたのか。憎しみは消え去り、そして彼のことをちっとも好きではない自分にも気づき、この中年の男は一体なんなんだろう?という気味の悪さを感じながら、表面上仲良く、普通に過ごしている。
この気味の悪い感覚とこの先ずっと付き合っていくことを想像すると、ちょっとゾッとする気もする。でもやっとここまで来た、というような気もする。
お互いもう好きでも嫌いでもない夫婦は結構多いと思う。でも実際には別れるのは気力的に辛い。一緒にい続けることについて。デメリットがメリットを上回るのはどんな場合か?そしてその場合、ほんとうに婚姻関係は解消したほうが良いのか?
何を目的にいつまで何を頑張ればいいのか、誰か教えて〜