Verdell

解決は求めていません。。。

適応する力

この関係、この生活に逃げ込んだのは他ならぬ私自身であって、その点に関しては言い訳できないし自覚もしているけれど、逃げた先にはまた違う種類の地獄があって、人生はつまりそういうことの連続であって、また逃げ出したところで結局また地獄なのだろうか…

 

行く先々で、しんどいなぁと感じる自分は社会というか世界に適応する力が弱いのかと、落ち込むのだけれど、それも果たして本当にそうかな?と考えるとそうでもないというか、だってやっぱり想定外のことってあるから。いくらなんでもそれは想像できなかったっていう類のストレスって割と常に存在するんだもん。

 

妊娠出産まではなんとか黙っていられても、子育て中って本当に余裕がない。そして余裕がないときに出るのが本音で、本性。お互いに。その本音や本性が割と深刻に想定外で本気でストレスになるってこと、あると思うのよ。

 

だけどそこでまた、適応できない、ストレスを感じる自分にもやっぱり落ち込む。一体どんな状況、環境ならストレスを感じずに生きられるの、私は?私ってそんなにワガママなのか?ワガママなんだろうな、ここでもまた合わない、辛いと思っているわけだし。困ったな、と思う。

 

家族とか夫婦とか、人と深く関わるからストレスが増える。それは分かっているけれど、完全に1人は寂しい。

だけど子育てを機にお互いにさらけ出した本性は強烈で、もう、もう一度好きになれるかと言われても無理な程度にはお互いを傷つけたと思う。

一度分かってしまったことは忘れられないし、喉に引っかかった小骨みたいに、気になり続ける。嫌いではなくても、好きという気持ちには戻れない。

 

このじわじわとストレスを感じる生活を、ずっと続けていくことに恐怖を感じる。かといって、打ち切る勇気も今のところ出ない。そのこと自体を相手に言い出す勇気も出ないし、もしもこの生活を打ち切った場合、結局はまたしても「現実から逃げ出した自分」ということになるわけで、それを受け入れる自信も覚悟もない。

 

身動きが取れないのなら、適応するしかない。適応する為には、なにも感じないようにするしかない。そしてストレスを上回る楽しみを自分で見つけて設定していくしかない。

そしてその先になにがあるのか?それがわからず苦しい。自分がどうしたいのか、分からない。ただ苦しい。