Verdell

解決は求めていません。。。

朝の連ドラから学ぶこと考えること。

放送中の、朝の連続テレビ小説「おかえりモネ」を、毎日楽しみに見ています。

それぞれの役者さんが素晴らしい演技をしていて、メッセージが強くありつつも、重くなりすぎず、主題歌も挿入音源もとても良く、爽やかに軽やかに、その中にまっすぐな意思を感じさせてくれる、そんなありがたい朝の15分です。

仕事の前にドラマをみる、その時間が今の私にはとても癒しです。展開にも緩急があって、濃く、重い、胸が締め付けられるような内容の日もありますが、それでも毎日、1人1人の登場人物の振る舞い、1つ1つのセリフ、言葉にしみじみとした感動を覚えます。

 

ここ数日は、震災の当事者であるモネの幼馴染達や、その親達、また、モネと妹のみーちゃんを中心に話が進みます。

さらに、モネの周りにいる、「大きな災害を経験せず平穏に生きてきた人達の動揺や葛藤」も細やかに演出されています。

互いに大切に思いながら、大切に思うからこそ、自分の辛さ、しんどさを相手に話すことを躊躇い続けた仲間が、混乱の中で、1人1人の心のうちを語り始めるシーンには、苦しい、辛い涙とともに、向いている方が前だとする、立ち上がろうとする気持ちが表れていたように思います。

 

このドラマをみる中で、「優しくする、優しいというのは、どういうことか?」ということをよく考えるようになりました。

大事にしたいと思う人がいて、その人のためになればと思ってすることは「優しい」、そう思っていたけれど、そう単純じゃなく、その人に喜んでもらえると「自分が嬉しいから」つまり最終的には自分のためで、本当に優しいということとは違うのではないかという問いかけがあり。

当事者ではない第三者の立場から、「冷静に、総合的に、最もその人のためになる判断を下す」、それこそが、本当に本当にその人のことを思っての、「優しさ」なのではないかという提案があり。それはしかし、言われた相手が傷つくのであればやはり「優しさ」とは異なり、種類としては「正しさ、厳しさ」というものになり。

「一時的、今だけでもいいから」と助けを求める相手を、本気の本気で、先のことも含めて、本当に相手のためを考えて、そしてそれを一緒に抱える自分をも含めて考えて、そうしたら、受け入れることができなかった「強さ」。

きっとこれからその「強さ」に気づくみーちゃんには、「正しいけど冷たい」と言われたけれど。でもやっぱり、その瞬間辛くても、流されないで向き合ってくれた、ちゃんと言ってくれた、そう気づく日が来たら、やっぱりそれが「最大の優しさ」なんじゃないかとも、思う。

 

みーちゃんは、かわいい。素直で、真面目で、りょーちんのことが本当に大好き。だから、苦しむ姿を見たくない、たくさん傷ついてきたから、これ以上傷つかないでほしい、傷つけないでほしい。それが、今のみーちゃんが考える「優しさ」なんだなと、考える。

「優しくない」ということと「冷たい」ということは違うと思うけれど、みーちゃんはまだ19歳で、冷静でなんかいられないし、それでいいと思う。そういう優しさがある、ということがわかる日は来る。だってみーちゃん、本当にいい子。

 

「優しい」というのは、どういうことか。

本当に本当に本当に本当に、その人のことを考えるってことなのかな、と思う。なかなか、できない。

そして、「そこまでしたいと思える人がいる」、そのことが、大きな大きな幸せだということも、気づかせてくれる。

りょーちんのお母さんは津波で死んでしまって、お父さんはボロボロになって。「そんなことになるなら、怖くて、誰かを好きとかもういい」とりょーちんは言う。でもきっと、「そんな存在がいなければ、こんなに苦しい思いをしなくてよかったのに」と思う日も多いけれども、でも、「本当に本当に本当に本当にその人のことを想える、自分にとってそういう人がいたことは、やっぱり大きな幸せだ」って、りょーちんに、お父さんが教えてくれるんじゃないかと思う。

 

幸せには1人ではなれないし、相手がいなければ優しくもなれないんだな。

 

そんなことを考えるきっかけをくれる、素晴らしいドラマだと思います。